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その人間は、どうして人間なのか。

はじめまして、マンション管理士のM.Nと申します。

今回のコラムは、マンション関係ではないですが、
自分の思う「人間観」について書き綴りました。

「誰でもいいから、殺したかった。」と秋葉原の殺人者は言った。
前にも、同じ言葉を吐いた殺人犯が居た。
よく耳にする言葉になってしまった。
今回の殺人者は、「社会が悪い。会社が悪い。親が悪い。」と口にしているとか。

彼がそうなってしまった結果は、他者と他者が造るこの世がそうせしめたのか?
そんなに受け身で生きて来たのだろうか?

人間とは、人の間(ひとのま)と書く。つまり人ひとりでは、人間と呼ばないと言うことだ。
少なくても二人以上の人が存在してこそ、人間と呼べる存在になる。

自分は、自衛隊への体験入隊を3度したことがある。
基地内を一人で歩いておれば、それなりに歩き続けておればよいが、
脇道から他者が歩いて来て同じ方向へ進み出すと、歩調を同じくして隊列を組んで歩き出す。

軍隊では二人になれば、もうこれは部隊なのだ。一つの組織であるとの認識なのだ。

 人は、この世では人であることは出来ない。人間としてしか生きられない。
他者が必ず居て、その人間とは直接間接的に関わりを持っている。
望むと望まざるとに関わらず。

人間は、その人間が造っている。その人間本人が、その人間を規定している。

他者が他者であり他者らしくあり、その人間は「俺はこんな人間なのだ。」と、
他者との相違を自らを決める。
良くも悪くも。

結果として、他者と異なる規定されたその人間がそこにある。

人であれば、自らを規定することなしに、また規定する必要もなしに生きられる。
 さて、生き続けることがはたして出来るのか?は別問題か。
他者の構成する、その人間にとっての外界との関わりを断ち切ることが出来ない以上、
外界を変えたいと思うだろう。熱望するだろう。

しかし、それは無理な話だ。

 ではどうするべきなのか。
自分が変わればよい。自分を「俺はこんな人間なのだ」との規定を変えればよい。
人間は、「自分自身はこうである!」と考え続けているうちは、ずっとその様な人間であり続ける。
自分自身で規定をちょっと変えれば、外界はもの凄く変わる。

人間は、そう思い続けるうちは、外界はそうあり続ける。
そして、その人間の外界はなにも変わらず、その人間を苦しめ続ける。

以上、最後までお読み下さりありがとうございました。 M.N